北海道新幹線が開通し、北海道の札幌に次ぐ都市である函館の魅力が、多くの人により身近に感じられる様になりました。
函館と言えば、函館山から見る世界三大夜景の一つの100万ドルの夜景や、抜群の新鮮な魚介類が食べれる函館朝市、新撰組最後の砦の五稜郭、赤レンガ倉庫が立ち並ぶベイエリア、日本を代表するロックバンドのGLAYの出身地であるなど、多くの観光スポットや話題に溢れている素敵な街です。

↑函館が誇る100万ドルの夜景(筆者撮影)
函館名物と言えば、なんと言ってもラッピの愛称で愛される『ラッキーピエロ』。
函館市民に「函館名物は?」と聞けば、即座に「ラッピ(ラッキーピエロ)のチャイチキ(チャイニーズチキンバーガー)」と返事が返ってくるほど。
ラッキーピエロは、たった人口27万人の函館という都市で年間200万人もが来店する伝説的なハンバーガーチェーンです。
ラッキーピエログループは、函館市内に13店舗、道南に4店舗と、2016年現在17店舗を運営しています。
しかし、大手全国チェーン店は全て合わせて9店舗しか展開できておらず、全国チェーン店が歯が立たないほど、圧倒的に函館の誰もが愛してやまないのがラッキーピエロです。
函館が生んだ伝説のラッキーピエロ
そんな函館を代表するダントツ地域No.1ハンバーガーチェーンであるラッキーピエロの社長の王一郎さんが、その人気の裏側を明かした1冊をご紹介します。
その名も、『美味しい、楽しい、感動があるから、お客様は来てくれる―――ダントツ地域№1ハンバーガーチェーン・ラッキーピエロの独自化戦略』です。
王一郎社長が、飲食店を経営するきっかけになったのは、1975年に33歳の時に、出版社『商業界』主催の経営セミナーに参加し、次のようないくつもの心に残る言葉を聞いたからだと言います。
- 店は客のためにある
- 正しきにより滅ぶる店あれば滅びても良し、断じて滅びず
- 損得より先に善悪を考えよう
- 顧客の幸せを考えない経営者は真の経営者ではない
- 満足した顧客は最高の販売員であり、広告マンである
いくつかの飲食店を経営した後、現在の函館のようにベイエリア・倉庫街は開発されておらず、開発計画すらなかった頃に、将来函館は北海道・東北を代表する観光スポットになると信じ、1987年6月にラッキーピエロ1号店(ベイエリア本店)をオープンさせました。
近所に飲食店が1軒しかなかったため、開店早々長蛇の列の大繁盛で、それ以来オープンさせる全店舗の売上が右肩上がりに増え続けていると言います。

↑オープンから約30年、人気の衰えない元祖ラッキーピエロ。ラッキーピエロ1号店のベイエリア本店(筆者撮影)
ラッキーピエロの独自戦略
ラッピの愛称のラッキーピエロという函館に地域密着したハンバーガーチェーンの人気の秘密は、全国チェーン店の大企業では真似出来ないような戦略を取っていることが挙げられます。
「爆発的に増えたメニュー」と「個性溢れる各店舗」の2つは、全国チェーン店は決して真似出来ず、1度でもラッキーピエロを訪れたことがある人でしたら、驚くポイントでしょう。
150品以上の独自のメニュー
ラッキーピエロの1号店では、ハンバーガーのみの8品目でスタートしましたが、現在は150品以上のメニューがあります。
大人気の「チャイチキ(チャイニーズチキンバーガー)」を始め、「イカ踊りバーガー」、ホタテを使った「土方歳三ホタテバーガー」などハンバーガーはもちろんの事、大人気のカレーライス、オムライス、店舗によってはスパゲティやカツ丼、ラーメンまで販売しています。
店舗によって、販売している商品が違うということも、ラッキーピエロの魅力の一つであり、全国チェーン店は絶対に真似出来ません。
現在、85%の食材は、地元北海道産のものを使用しており、函館、そして北海道の発展に貢献するという思いがあります。
全国チェーン店は、味が多少落ちてでも、少しでも安い食材を大量に仕入れ、全国で同じメニューを大量に販売していくことが当たり前の時代です。
しかし、ラッキーピエロはお客様が欲しいものを、地元の新鮮で美味しい食材を使って作っており、原価率は50%以上という飲食店では有り得ないようなハイクオリティのメニューを提供しています。

↑全国チェーン店には見られないような盛りだくさんのメニュー(ベイエリア本店)。メニューは店舗によって異なる。(筆者撮影)
異なるテーマの各店舗
複数のラッキーピエロを訪れた人はすぐに気が付きますが、ラッキーピエロは17店舗全てが異なったテーマで作られています。
「プレスリーが青春だった」がテーマの港北大前店は、壁一面にエルヴィス・プレスリーのポートレートが飾られています。
「森の中のメリーゴーランド」がテーマのベイエリア店は、店内のテーブル席の椅子がブランコになっています。
「オードリー・ヘップバーンが、憧れだった」がテーマの江差入口前店はオードリー・ヘップバーンの写真で溢れています。
どのお店に行っても同じような外観と内装の全国チェーン店では決して味わえない温かみのある店舗がラッキーピエロの特徴です。
コストでいえば全店舗同じ作りにした方が圧倒的に安くすみますが、それを敢えて手間と費用をかけて個性溢れる店舗を作り上げているため、日本全国のファンから愛されているのでしょう。

↑椅子がブランコになっているラッキーピエロ・ベイエリア本店(筆者撮影)
ラッキーピエロを広めたミツバチ族とGLAY
中小企業であるラッキーピエロが、全国チェーン店のような大規模なテレビCMや広告を出すことはほぼ不可能です。
ラッキーピエロがオープンした頃はインターネットもFacebookもTwitterもありませんでした。
そんな中、ラッキーピエロを全国に広めたのは、紛れもなく口コミの力だったと言います。

↑個性溢れるラッキーピエロの魅力を全国に伝えたのは、口コミの力。ラッキーワン賞は、100人に1人の運の良い人に贈られる(100枚綴りの伝票の1枚目の人)。(筆者撮影)
今でこそ、マスメディアを使った大規模な広告が機能しなくなっており、消費者一人ひとりへアプローチすることが重要な時代で、口コミが爆発的な威力を発揮する21世紀の流通形態であることを、多くの人が認識しています。
しかし、当時は王一郎社長も口コミの活用には半信半疑だった言います。
感動したことがあれば、人に伝えずにはいられないという人間の本能です。
口コミは、最も古典的ですが、最も商いの常道にかなった手段ですし、未来永劫機能していく唯一の宣伝手段です。

↑夜でも雨でもラッキーピエロの行列は続く。移転前のラッキーピエロ 函館駅前店 ※2019年10月15日に閉店。函館朝市の目の前にあるホテルニューオーテに移転し、同年10月29日にオープン。(筆者撮影)
ラッキーピエロは、口コミを利用した訳ではなく、良いものを提供し続けた結果、勝手に口コミで広まったという方が正しいかも知れません。
毎年夏に北海道にバイクでツーリングを楽しむ「ミツバチ族」と呼ばれる人たちが、泊まる宿の「思い出ノート」に、「函館にラッキーピエロというとんでもなく面白い店があるから、函館に行ったらお前らも食べろよ」、「ラッキーピエロを忘れるな。必ず行くべし。」といったメッセージが書かれ、どんどん広まって言ったと言われています。
今ではGLAYファンの聖地の一つ
函館が生んだ国民的ロックバンドのGLAYも、ラッキーピエロを食べて育ったと至る所で語っています。
音楽番組の中で、「自分たちは函館時代、ラッキーピエロに通いつめていたんだ」とコメントしたところが全国のGLAYファンに口コミで伝わり、ラッキーピエロはGLAYファンの聖地の一つになりました。
ベースのJIROさんは、自らがプロデュースした単行本の『キャラメルブックス』で、「ラッキーピエロのスプリングロール(春巻)が大好きだった」とコメントしています。

↑ラッキーピエロはGLAYの大ファン、GLAYはラッキーピエロの大ファン、GLAYはラッキーピエロを食べて育った
GLAYには、『ストロベリーシェイク』という曲があり、一時期、ラッキーピエロのラッキーシェイクのストロベリーを歌ったのではないかと、話題になりました。
しかし、後に作詞・作曲をしたベースのJIROさんが、マクドナルドのマックシェイク®ストロベリー味のことだとコメントしています。
まとめ
それ以外にも、ラッキーピエロの独自制度である、「サーカス団員制度」や、「ワン・ツー・ワン・マーケティング」の秘密、今や全国のいろんなお店にまで波及した「トイレ」の工夫、そして「仕事とは」、「人生とは」といった人としてのあり方など、ラッキーピエロの裏側を徹底的に明かしてくれています。
函館に観光に行こうと思ってる方、ラッキーピエロに行ったことがある方、GLAYファンの方、飲食店の経営をされてる方もしくはしたい方などなど、いろいろな方にオススメです。
経営についても書かれていますが、とても理解しやすく書いており、経営に興味がない女性の方などでも、ラッキーピエロを知ってる方なら誰でも楽しめる1冊です。
王一郎さんの別の著書『B級グルメ地域No.1パワーブランド戦略』についても、下記のブログでご紹介しています。
GLAYのJIROさんがラッキーピエロについてコメントしているキャラメルブックスもおすすめです。
GLAYに関するブログも書いています

